デザインについて誰が責任を持つべきなのか

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現在ジュエリーブランドx2/新規開業の飲食店/新会社の設立と合計4つのVIの仕事をご依頼いただいています。

VI=ロゴやショップカード・パンフレット等のデザインを通し視覚的な展開を統一する活動の総称。

ブランド名を考えるために図書館に入り浸り、英和辞典や羅和辞典を1日中引き漁ったり、本屋さんでロゴの本を読みまくったり、これだけデザインが好きなのにちょっとデザインが嫌いになりそうなくらいVIのことをひたすら考えている。

VIというのはお客様以上にお客様のことを考えなければならない仕事だ。

いやいやいや。事業主以上に事業のことを考えれるわけないでしょう?と言われそうなのだが、ビジュアル面に関してなら間違いなくクライアント以上に考えている。

依頼されると、仕事として毎日取り組むのでしばらくはそれが日課となり、文字通り朝から晩まで考える。

なぜ事業主が事業名やロゴ・看板などを自分で作らず、デザイナーに依頼するのか?

「本業があるからそればかり考えられない」ということもあると思うが、あらゆる市場が飽和状態になりつつあり、良いものを作っているだけではものが売れなくなってしまったからというのが大きい気がする。

ネイルサロンを開業する際「わたしピンク色が好きだからお店の看板もピンクにしよー♪」ではもはや通用しそうにない。

デザインで言えばどういうイメージをどんな見せ方で伝えたらターゲットとなる顧客に正しく伝わるのか?を考えなけらばならない。そしてそれはあらゆる広告活動に共通する。

自分たちがどんなこだわりを持ってビジネスを展開し、誰をダーゲットにしていて、そのためにどんなデザイン(伝え方)をすれば良いのか?そういった面での精度の高さがどんな事業であれ必ず要求される。

それを経営者や生産者に近いポジションで形にし、コントロールしていくというのが現代のデザイナーに求められる役割のように感じる。

見え方をコントロールする

私たちデザイナーは目的や与えるべきイメージを元に配色を選び、デザインを通じてビジュアル・アイデンティティを設計することで消費者からの信頼感や期待値を得たり、働く人のモチベーションを高めるということに寄与したいと考えている。

個人的な趣味・趣向・センスを出来るだけ排除し、メッセージが伝えたい人に正しく伝わるようにどうあるべきかを調整する。これは本当に難しい。

誰だって自分の趣味や好みを否定されると頭にくるし、頭では分かっていても理屈に気持ちがついてこなかったりするからだ。

来る日も来る日も何かをデザインし、それが要望に添う物だったのか?ターゲットに好まれるものだったのかを冷静に確認する。

自分がどんなにピンク色が好きだろうがそれだけの理由でカラーパレットにピンクがのることは絶対にない。

擦り切れるほど繰り返しても冷めることのない情熱と、作りだしたデザインが正しく機能するかを第三者の目線から分析する。この対極的な「冷静と情熱の間」を行き来しながらデザインは形作られていく。

数え切れない日々の反復の中で最適解を導くべく繰り返される行為はもはや訓練だ。

毎日なんらかの目的を元にデザインがどうあるべきかを考慮し、それを形にするという酔狂なことを専門職以外の人はやらないんじゃないだろうか。

だからこそビジュアルに関してはデザイナーが責任を持って考え、提案をしなければならない。

納期という掟を守る

ただ僕たち制作者の立場からプロジェクトを見たとき納期という絶対に厳守しなければならない掟がある。

「お前にどれだけ崇高な目標や高い意識があろうが、納期に間に合わなかったらプロ失格だからね。」

駆け出しの頃先輩に痛烈にダメ出しをされた。

「じゃ納期に間に合わせるために60点の仕事しても良いんすか?」と喰ってかかった。

「それが今のお前の実力でしょうが。なんで納期に間に合わせるために60点の仕事になったのかを考えなよ」

そう言われ随分打ちのめされた。

全力でやっても現実的には常に100点の仕事が出来るわけではない。納期に間に合わなければもちろん0点だ。

様々な案件を並行して進めていくなかで、どうしてもクライアントとの認識が一致しなかったり、当初のコンセプトとは違う方向に進みだしたりするのを感じながらそれでも納期に着地させるという掟を最優先するために最短ルートを選んで対応することは実際にある。

ご納得いただき、無事納品出来ればデザインを営業や経営という視点で見たとき問題ないのだが、このときクライアントのほぼ言いなりになって作業することが多く、いつも心のどこかで(デザインの専門家がVIの決裁権を持たないで良いんだろうか…)と考え込んでしまう。

ある案件で力の限りご提案はさせていただいたのだが、納期が迫ってきていたため先方のご意向を優先させた案でプロジェクトをクローズさせに掛かることがあった。

(決して手を抜くという意味ではなく、全体の状況を考慮しデザインについてディスカッションするのをやめ、プロジェクトを終わらせるために意識を集中させていくという意味)

そして実際一度は無事納品した。だが後日取引先の社長から直々にお電話をいただいた。

「うちの担当が失礼なことをしてすみませんでした。私はご依頼させていただいた三宅さんのアイデアじゃないと嫌なので、もう1度仕切りなおしていただけませんか?」と。

つまり追加予算をいただいたのだが、このとき頭のてっぺんからつま先まで雷が突き抜けたような思いがした。

デザインの専門家がデザインの決裁権を持たなければならない。

心ではそのことを理解していても、実際の現場ではクライアントの好みや、関係者の意見を優先されるということが往々にしてある。

「どんな色が好きですか?」なんて愚問だと分かっていてもつい聞いてしまう。「アップルみたいなデザインにしたいんだよね~」と言われると「あ、それ良いですね!」なんて相槌を打ってしまうことがある。

デザインがちゃんとクライアントのビジネスにコミットするために、デザイナーはちゃんと主張しなければならないし、多くの人にとってはくだらなく映る些細なことに対して、子供やペットの名前を決めるくらい深く考えどんな想いを込めているのかについて真剣に話し合う必要がある。

私たちは小さな子供がプラモデルやおもちゃを作るのに真剣になっていた頃のモチベーションを大人になった今も維持し続けながら暮らしている。

ものづくりはいつしか生活そのものとぴったり重なっているから、ライフワークバランスは大きく偏っている。

「大人が真剣に遊び続ければそれが仕事になる」

何かの本でそう書いてあったが、現実にはそれが仕事に繋がることは少なく、とても険しい荊の道だ。

それでも時代背景としてデザイナーに求められる役割は大きくなり、経営や商売に必要とされるようになってきているように思う。

別の記事で書こうと思うが独立してからお仕事の依頼を受けるにあたり、いわゆる元請けという形態で取引先や経営者の方と直接やり取りをさせていただくことが多くなった。

会社勤めからフリーランスとなり大きく変わった部分だが、デザインが会社の経営戦略にコミットするようデザイナー自らが提案し、形にしていけるのは大きなやりがいだ。

それに対してちゃんと結果を出していけるかどうかは文字通り真剣勝負で、デザイナーが独立するとき、自分に自信がないとまずやっていけれないし、また自分に自信を持つべきなんだと最近は強く感じる。

時にはクライアントとぶつかることもあるだろうが、互いの好みや趣味嗜好の押し付け合いや相手を言い負かすのではなく、ビジネスに対してデザインがどうあるべきなのか?という議論ならばぶつかるべきだろう。

クライアントの仕事を自分のことのように考えていることが正しく伝われば建設的な打ち合わせができるんじゃないだろうか。

結局のところ人と人とが意見を出し合って、細部や軸を確認しながら精度を高めていくのがこの仕事の本質のように思う。

そのとき相手の仕事へのリスペクトさえ忘れなければデザイナーは自信を持って自分を主張したり責任を持っていい・持つべきだというのが結論だ。

偉大な先人たちの知識を吸収すべくデザインの本を読み漁る日々を過ごしているのだが、せっかく努力して身につけた知識や技術。

それをどう使えば依頼をしてくれたクライアントのビジネスを成功に導くことが出来るのか?まで考えられる人になっていきたい。

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