高千穂へ行ってきました

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DesignStudio 35mmでは家族旅行を兼ねて高千穂参拝へ行っています。

去年も同じ時期に「くじゅう花公園」でワーケーションしながら参拝に行きました。

今年はグランピングではなく、キャンプ場に一泊しました。

コロナはまだ終息していませんが、土日に移動を避けていたことはなくなりました。

「封じ込める」というフェーズから「共存していく」フェーズに変わったのかもしれません。

日本国内でも感染症対策の自粛レベルにはかなり差がありますが、出掛けるのが後ろめたかった感覚はなくなった気がします。

ツイッターを見ていても今年は多くの方が対策をしながら移動や旅行を楽しまれているようでした。

高千穂の観光産業に携わる方々もとても忙しそうで生き生きとしていました。

今年も道中に感じたことや、今 考えていることを書いてみようと思います。

留まらない働き方を模索する

私は「地球が仕事場」をモットーに日々お仕事をしているのですが、なるべく一所に留まらない働き方を模索しています。

例えば森の中で仕事をしてみたり、図書館で調べ事をしたり、深夜のジョイフルなど広めの卓でノートを広げて事業構想を考えたりします。

デザインやホームページの構築作業をしていない時はなるべく外に出ています。

これは出張やご訪問で移動しながらお客様とコミュニケーションを取り、フィールドワークのように仕事をしていくスタイルなのですが、近頃話題の「フリーランスになって自由な働き方をしよう!」との違いを伝えることは難しい気がしています。

結局やっていることは同じで、自分の行動が初学者や駆け出しの方、ひいては業界全体のコンプライアンス意識にとって悪影響な気がします。

ただ、自分は人を導くような立場ではなく、会社員でもないので業界の「べき論」からは距離を置き、あまり人の意見に合わせず自分の働き方を自分で決めるようにしています。

個人的に何をやるにしても周囲の意見を聞き過ぎない方が良いと思っています。

他人ではなく、自分が何を選択するのか?

その積み重ねが誰のせいにもできない自分の人生を作っていく気がしました。

自分の価値観を見つめ直そう

10年前、なんとかしてこの業界に入り込めないものか…

Webデザイナー界隈の一員となって有名人になれやしないか…と必死でした。

今はその業界から出ようとしているのかもしれません。

業界を取り巻く空気感や目に見えない集団的同意のようなものに叩かれないよう気を付けることがなんだかとても窮屈で、あまり魅力を感じなくなったんだと思います。

いつからか自分の興味があることと日々議論されていることに大きなギャップが出来てしまったような気がしました。

語弊があるんですが、10年前は今よりひどい環境でしたがずいぶん余白(自由)があった気がします。

ミュージシャンやバンドマンがフライヤーやらジャケットやらをデザインしてることが多く、好きなことを好きな恰好でやってる雰囲気があり、そういう所に惹かれたのかもしれません。

これは年をとってから東京に以前のような興味がなくなったことと似てるかもしれません。

東京やWeb業界に魅力がなくなったわけではなく、自分の価値観ややりたいことが変わりました。

世の中はもちろん、自分自身も変わり続けているから。

全ての人に同じ答えなんてないと思いますが、だからこそどこかで自分の価値観を見つめ直すタイミングが必要な気がしています。

僕らが旅に出る理由

会社に勤めていた頃、空気ばかり読んで自分の意見があまり言えませんでした。

規則やルールを破って怒られることを極度に恐れていましたし、自分の評価は上司が決めると思っていました。

(それは会社のせいというよりも事なかれ主義だった自分の弱さだと思うのですが)一カ所に留まることの弊害として、閉鎖的な空間が全てになってしまい「多様性」や「他者と違うこと」「自分で決めること」を見ないようにしていたのかもしれません。

旅をしていると五感が開いていくような感覚があるんですが、旅には人の感受性を高めてくれる効果があると思うんです。

日常を離れた場所で見るものすべてが新鮮で、それらは凝り固まった価値観を優しくほぐしてくれます。

さらさらになった血液が体内を循環していくように、

五感を開くことで止まっていた思考が再び流れ出し、正常な判断が出来るような気がしています。

「正常な判断」とは正しさや正解ではなく、自分がどう感じているのか?に基づく判断です。

冷静に考えると「上司に評価されることが自分の能力」なわけがないし、前提となる会社が間違っていることだってあるかもしれません。

そうしたしがらみや圧力から離れることで人に遠慮したり気を遣わない「自分らしさ」を取り戻し、心をフラットな状態に戻すことは仕事においても人生においてもとても大切な気がしています。

デザイナーがロマンチストじゃなくてどうするんだ?

ワーケーションや自由な場所で仕事をしてもデザインが上手くなることもないし、センスが上がるなんてこともないでしょう。

それでも時間をとって遠くまで旅をしたり、オフィス以外で仕事をするのはデザイナーがロマンチストじゃなくなったら世界は輝きを失うと思うから。

感受性は技術や経験よりもずっと前にある、クリエイティブの源泉のようなものです。

旅先でいつもよりご飯が美味しく感じたり、ドライブしてる時の音楽が心地良いことがありませんか?

その感覚の鋭さこそが「表現」の原動力であり、技術や経験を伴う手法※を経ることで形へ昇華します。

※手法とは言葉や写真、絵、デザイン、プログラムなどあらゆる行為

私は思春期を過ぎても嬉々としてポエムを書き続け、何もない平凡な日常をいっぱい写真におさめてきました。

誰にバカにされようが自分の作り出す詩と写真は最高だな!と思っていました。

残念ながらそうした熱意が専門領域に達することはありませんでしたが、ホームページを作る際のキャッチコピーや原稿作成、ビジュアルデザインやフォトディレクションには活かされています。

自分の原体験を振り返ってみると純粋すぎるほどロマンチストで感受性が高かったですし、金になるかどうか?なんて全く興味がありませんでしたが結果として今の仕事に繋がりました。

大人になってからはそうした「ロマン」は「常識」に塗り替えられた気がします。

だからこそ、旅に出て感受性を高めることはとても大切なことだと思っています。

創造性には四季がある

これは「クリエイティブと日課」という本に書かれていた言葉です。

私たちはもしかすると成長することにこだわり過ぎているのかもしれません。

休む間を惜しみ、ひたすら成長し続けなければいけないと思い込み、その結果自分を内省する時間があまりにも少なすぎるからです。

冬、木は死んだように見えるけれど、内部ではとても奥深いプロセスが始まっている。そこから春と夏がやってくるのよ。

この本にはそう書いてありました。

今回の旅を通してそういうことを少し感じられた気がしました。

今年のGWは独立後もっとも長く休んだ気がします。

そして最も長く家族や自分自身と向き合う時間が取れました。

そうした時間が今後の制作活動や個人事業主としての暮らし方にプラスとなるような働き方を作っていきたいと思っています。

仕事と遊び

私は「仕事も遊びも全力投球」という言葉が大嫌いでした。

なんだか気を休める時間がないような気がするし、なんとなく(あまり空気のよくない会社で)休日も社員同士で集まってバーベキューをしたりボーリング大会なんかすることを強要される雰囲気があるからかもしれません。

(今もこうしたイベントは苦手…)

だけど今、この言葉が自分にしっくりきているのは家族と共に仕事を心から楽しめているからだと思います。

仕事を休んで遊んでいることが実は仕事にプラスになると気付けたことで休みながら仕事をすることも可能な気がしました。

時々「個人事業主か会社員か?」を語られるとき、安定や収入、そして間違った自由ばかり注目されますがどれもあまり興味が持てませんでした。

とても大切なことを見落としてしまっているような気がします。

これからの私がやるべきこと

自分はこの1度しかない人生で心からやりたいと感じたことを思い切りやれてるのだろうか?

誰かに遠慮したり、自分を過小評価していないだろうか?

「いつかやろう」を何年もそのままにしていないだろうか?

独立して4年経ちましたが、私がやるべきことは結局のところ3つしかありません。

1.大好きな仕事に熱中しお客さんに喜んでもらうこと

2.家族を旅行に連れて行けるよう頑張って働くこと

3.常に自分自身に軸を置くこと

個人事業主なら楽しみ・やり甲斐は自分の頭で考え、自分の心で感じるべきで他人にとやかく決められることではありませんよね。決めさせたらダメなんです。

来年もこうして家族を連れて旅行に行けるように、丁寧な仕事を心掛けて月曜日からまた頑張ろうと思います。

読んでくれてありがとう。

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